シャドウ
みなさんは、なぜか苦手な人、いますか?なんだか分からないけど、見ているとイライラする人。私にはいます。そしてその事でこの何か月間か、ずいぶん苦しんでいます。
それは、もしかしたら自分の「シャドウ」をその人に投影しているのかもしれません。
「コンプレックス」の一つ、「シャドウ」
心は、家として表現することができます。
そのなかで「私」だと思っている人が「自我」ですが、実はその中には私が気がついていないたくさん部屋があり同居人がいる。彼らは「コンプレックス」といいます。
日本語の劣等感、とは違い、「感情を核にしたイメージや記憶の集合体」がコンプレックス」になります。
「シャドウ」
シャドウは、そのコンプレックスの一つ。
自我(私)が知りたくなかった、もしくは知らない自分のこと。
・「生きられていない自分」
子どものころから、家庭や社会規範に合わせ、合わない部分を隠すようになります(抑圧)。この隠された部分がシャドウになります。
・投影
自分の中のシャドウ自体は、影なので見えない。代わりに、誰か別の人に投影してみてしまうことがあります。それが冒頭に書いた、「なぜか苦手な人」
その人自体を苦手なのではなく、その人に映った、生きたかったのに生きられなかった自分のシャドウを投影して、嫌悪感を感じてしまいます。
また、それは夢の中に同性の人として現れることがあります。
・暴走
普段は無意識化にいますが、時として暴走することがあります。感情の爆発です。
彼はぼーっとしていて、何も考えていないみたいで、いるかいないかわからないようでしたが、途中から暴走しました。その姿が重なりますね。
・自己サボタージュ
無意識に、自分の成功を妨げてしまうことがあります。これは無意識のシャドウが成功に値しない!と思ってしまっているから。
ついつい自分に不利益になる法の選択肢をえらんでしまう、これも私はとても心当たりがあります。
・観察
シャドウを観察するには日記をつけ、自分の感情を客観的に観察したり、夢分析も効果的。もちろん、専門家に見てもらうのも方法です。
・シャドウの良い点
創造的に活用すると、絵や音楽などの芸術で表現することができます。
また他者の弱さへの共感を持つことができます。
影を通じて、生きられていない未知の自分を理解するプロセスは、生涯にわたり続き、それをうけいれることが深い自己理解、個性化への道といえます。
私は、シャドウの発見で、ここ最近苦しんでいた原因が分かったように思います。
自分の中の、押し殺していた感情を投影し、人を嫌ってしまっていたんだな、と。
その感情に、私は自分なりに名前をつけて、キャラ化しました。そうしてみると、なかなかかわいい奴に思えてきました。
そして自分の中で、そのキャラを受け入れています。
投影するくせは、まだ抜けきっておらず、つい嫌な感情はでますが、それは「ああ、私のなかのあのキャラが出てきているのだな」と客観視する習慣はできました。
自分の中には、まだまだたくさんのシャドウ、それと別の住人達も住んでいて、それを発見するプロセスは、苦しいですが、同時にとても楽しいです!
